【国際結婚 中国人の嫁との日々】偽装結婚に染まった8年間
ズバリ言うと、私の8年間の国際結婚は偽装結婚でした。美しい中国人女性に一目ぼれして結婚したものの、在留資格取得が目的だったのです。今回は国際結婚を検討している男性への警告として、私の失敗体験をすべてお話しします。
私は行政書士の松村と申します。かつて中国人女性と国際結婚し、8年後に離婚しました。現在は別の中国人女性と再婚して幸せな結婚生活を送っています。
前妻との結婚生活を振り返ると、明らかに偽装結婚の特徴がありました。国際結婚を真剣に考えている日本人男性に向けて、反面教師として体験談をお伝えします。
妖精のような美しさに一目ぼれした”運命”の出会い


2014年7月、私は運命を変える女性と出会いました。
当時の私は病気で療養中でした。日本にお嫁に来ていた知り合いの中国人女性から食事の誘いがありました。「友達が日本に来ているので一緒に食事しませんか」という内容でした。
紹介者はLINEで彼女の写真を送ってきました。写真を見た瞬間、胸騒ぎを感じました。例えるならば「妖精」のような美しさでした。
私は直感的に思いました。「この人に会わないと、きっと後悔する」と。
- 病気療養中 – 心身ともに弱っていた時期
- 紹介での出会い – 信頼できる知人からの紹介
- 一目ぼれ – 写真を見ただけで運命を感じた
隣町で待ち合わせをして寿司を食べました。彼女は日本語が話せる印象でした。会話も支障なく進み、とても楽しい時間を過ごせました。



今思うと病気で弱っていた私に”何らかの理由”で日本人と結婚したい中国人女性を斡旋してきたのではないかと疑っています。国際結婚での無理な斡旋は違法です。業者選びには十分注意が必要です。
病気で弱った私を支えてくれた天使のような存在だった


彼女は中国に帰った後も毎日連絡をくれました。WeChat(ウイチャット)で繋がり、取り留めのない話をたくさんしました。
病気で療養していた私には、彼女との交流が大きな励みになっていました。
しばらくして彼女から提案がありました。「中国に来て会いませんか?」という内容でした。私は9月から通勤訓練が始まる予定でした。休めるのは8月いっぱいでした。
思い切って中国へ渡ることにしました。人生を変える決断でした。
電光石火の国際結婚!わずか3日で人生が激変


2014年8月、紹介者と一緒に大連へ向かいました。彼女は空港まで出迎えに来てくれました。
大連の観光地を散策して楽しい時間を過ごしました。翌日も中日広場などを回りました。
その夜、紹介者から突然の質問がありました。「結婚の意思はありますか?」
最初に彼女が答えました。「結婚していいよ」と。私はびっくり仰天しました。婚約まで行けば良いと思っていたからです。
私は彼女に確認しました。「本当にそんなに早く結論を出していいのですか?」
彼女の気持ちは決まっているようでした。私も運命と受け入れることにしました。「分かりました。結婚しましょう」と答えました。
- 1日目 – 大連観光、親睦を深める
- 2日目 – 結婚の意思確認、即決
- 3日目 – 両親への挨拶、結納金
- 4日目 – 挙式、婚姻届署名
翌日は新幹線で瀋陽へ向かいました。彼女の故郷で両親への挨拶です。ご両親も国際結婚を許可してくれました。
赤い袋に入れた結納金をお渡しして、大連に戻って挙式をしました。挙式後は婚姻届に署名して日本での入籍準備を整えました。
在留資格取得の困難な道のり


帰国後、紹介者に案内してもらい市役所で入籍しました。中国人との国際結婚には多くの書類が必要でした。
- 出生証明書 – 中国での出生を証明する書類
- 国籍証明書 – 中国国籍であることの証明
- 離婚公証書 – 前夫との離婚証明(彼女は再婚)
- 独身宣誓書 – 現在独身であることの宣誓
在留資格認定証明書の取得には順調でも3か月程度かかります。
彼女は年内の来日を希望していました。しかし紹介者は2月頃で良いと考えていました。彼女は機嫌を損ねて紹介者に怒りました。
結果的に12月に証明書が交付されました。瀋陽の日本領事館での査証手続きも必要でした。幸い査証はスムーズに下りました。
1月下旬、ついに彼女の入国が決まりました。



国際結婚による在留資格(配偶者ビザ)の取得は非常に難易度が高く、質問書の他に交際の経緯や期間などを示した申請理由書や結婚経緯書の作成が必要です。在留資格の取得サポートを放棄する業者も少なくないため注意してください。
束の間の幸せな国際結婚生活の始まり


成田空港での再会は感動的でした。国際結婚したことを実感できる瞬間でした。電車で自宅に帰り、新しい生活が始まりました。
翌日から様々な手続きに追われました。住民票、スマホ契約、銀行口座開設など、日本での生活基盤を整えました。
彼女はiPhoneとiPadを欲しがりました。両方とも契約することにしました。
中華料理の魅力!量も味も大満足だった


来日翌日、彼女は朝食を用意してくれました。量がかなりありました。初めて中国人の嫁の手料理を食べて、とても満足しました。
当初は彼女もiPadを活用して色々な料理を調べて作ってくれました。一緒に水餃子を包んだこともあります。
ただし食費は二人分で月6万円を要求されました。ちょっと高いと思いましたが、幸福な気分だったので渡していました。
しかし、そんな幸福な日々はそれほど長く続きませんでした。



一言に国際結婚生活をスタートさせるといっても行政の手続きが多数あり、簡単ではありません。真剣に国際結婚を考えておられる方は、国際結婚した後の生活のことも想定して婚活をされることをお勧めします。
豹変した生活態度!午後1時まで寝る妻!


しばらく生活を共にする内に、見えなかった部分が見えてきました。
最初は午前7時に起きていたのが、どんどん起床時間が遅くなりました。黙っていれば午後1時まで寝ています。
一日の半分近くを寝て過ごしています。私だったら体調が悪くなる程の睡眠時間です。
家が変わってから眠りが浅いと言い訳をしていました。料理も手を抜き始めました。「ご飯作るの、大嫌い!」と愚痴を言うようになりました。
- 起床時間 – 午前7時から午後1時に変化
- 料理態度 – 手抜きが目立つようになった
- 性格変化 – わがままで子供のような態度
- 物欲 – ブランド品を欲しがる傾向
わがままな性格も目立ちました。ブランド物が大好きで、欲しいとなったら駄々をこねる子供のように買ってくれるまで収まりません。
私の当時の収入からすれば、キャパオーバーなものを買いたがりました。
120万円のロレックスを求める妻!記念日プレゼントの衝撃


月々の支出も大変でした。食費6万円、電話代35,000円、水道代10,000円程度かかりました。
私は復職後も体調が回復せず、1年ほどして退職しました。
退職前に彼女から驚くべき要求がありました。国際結婚記念日のプレゼントに腕時計が欲しいという内容でした。
一緒に時計店に行きました。いくつか時計を見た後、彼女はロレックスの腕時計を指差しました。金額は120万円でした。
当初は80万円位の時計で良いと言っていました。しかし見ている内にどうしても欲しくなったということです。
約束していたこともあり、60回分割のローンを組んで購入しました。



今思うとバカなことをしたな、と後悔しかありませんが、その当時は国際結婚生活も間もなく彼女のことも愛していました。今間違いなく言えることは、「お金の話をしてくる女性と付き合うな」です。国際結婚を検討している方たちの反面教師となれれば幸いです。
際限ない散財!フェラガモ・シャネルの連続購入


退職後は失業保険を受給しながら生活していました。そんな大変な時に、また新たな要求がありました。
フェラガモの靴が欲しいと言い出しました。一足8万円でした。
私は失業保険受給中で生活が楽ではないと説明しました。しかし彼女は聞き入れませんでした。結局、購入することになりました。
しばらくして今度はブランド物のサンダルが欲しいと言い出しました。私は問いました。「あなたの友達は毎月8万円もする靴を旦那に買ってもらっているのですか?」
彼女の答えは「どうしてもこの靴が好きなんだ」でした。全く聞き入れません。
- ロレックス – 120万円(60回分割)
- フェラガモ靴 – 8万円
- ブランドサンダル – 8万円
- シャネルバッグ – クレジットカード使用
その後もシャネルのバッグなど、クレジットカードを使って買わされました。全く自分自身に呆れます。
3か月の中国への帰省が常態化!実質的な別居生活


戸籍上では8年の国際結婚でしたが、実質的に一緒に暮らした期間は半分もありません。
日本での生活が始まってすぐに中国の旧正月を迎えました。家族と友人への土産を買うため、あちこちの買い物に付き合わされました。
「爆買い」という言葉通り、スーツケースはパンパンに膨れ上がりました。重量も大変でした。
その大きな荷物を持って旧正月に帰ると、もう3か月も帰ってきませんでした。
結婚して1か月ほどした頃、スマホの写真を見せられました。銀行への借用証書のようでした。
彼女の説明は以下の通りでした。「成婚する際に国際結婚相談所へ成功報酬を払わなければいけない。名古屋の友達のところで働いて借金を返す必要がある」
私は驚いて詳しく尋ねました。中国では警察が民事でも介入するので、そうするしかないという答えでした。
結局、彼女は名古屋へ出稼ぎに行きました。5月の連休まで帰ってきませんでした。
- 旧正月帰省 – 毎年3か月間の長期帰省
- 名古屋出稼ぎ – 借金返済のため数か月間
- コロナ禍 – 最後は2年間も会えず
毎年旧正月は帰省し、何か月も日本に戻りませんでした。コロナ禍もあって、最後は2年も会っていない状態でした。



中国人女性の中には国際結婚して日本での生活が始まると豹変する女性も少なくありません。実際に国際離婚の相談者の中には「国際結婚をしてからというものの仕事ばかりして家に帰ってこない」などといった相談も多くいただきます。このような場合は偽装結婚の可能性も少なくないので、早めに専門家に相談されることをお勧めいたします。
愛情の一方通行!私だけが支え続けた国際結婚生活


私と前妻との国際結婚生活は「無理な結婚」と言うしかありませんでした。
前妻の浪費癖は、当時一介のサラリーマンだった私には支え切れるものではありませんでした。彼女が望んでいた生活は年収2千万円位の人でないと充足できなかったでしょう。
前妻の浪費癖で、一時は自己破産を考えざるを得ないところまで追い詰められました。
前妻は私を支えるのではなく、自分だけ安全なところに身を置いていました。私ののたうち回る姿に見て見ぬ振りでした。
国際結婚相談所を介したものであっても夫婦となった以上は、共に支え合う気持ちが必要です。根底を欠いた国際結婚生活は少しずつ崩れていきました。
当然の如く、この国際結婚生活は終焉を迎えます。
8年間の偽装結婚に終止符!弁護士を通じた離婚調停


前妻はコロナ禍が始まった頃の旧正月で帰郷しました。それから2年、私の元へは帰りませんでした。
当初は連絡が取れていました。しかし帰郷後1年ほどして、私の応答に全く応えなくなりました。私は見捨てられたと感じました。
そんなある日、前妻から急に連絡がありました。私の転居を伝えると、荷物をまとめに来ました。
最寄り駅前の居酒屋で、前妻から離婚の申し出がありました。
私は最後の説得を試みました。「開業して苦労したが、少し働いて支えてくれれば二人で生活していける。また一緒に頑張ろう」と伝えました。
まだ愛しているから、二人でやり直そうと語りかけました。しかし心の中では、散々に財産を食い潰された恨みから、簡単に離婚に応じるつもりはありませんでした。
前妻の話はあまりにも虫の良い話でした。私は答えました。「どうしても離婚したかったら、弁護士を頼んで話をしてください」
- 家庭裁判所調停 – 2回実施、不調に終わる
- 解決金提示 – 相手方弁護士からわずかな金額
- 協議離婚成立 – 最終的に離婚に合意
しばらくして前妻の弁護士から連絡がありました。家庭裁判所で調停となりました。法テラスで法律相談を受けて対応しました。
調停は2回行われましたが不調となりました。相手方弁護士からわずかな解決金を申し出られました。
私も裁判は面倒だと思いました。もう夫婦関係の修復は不可能だと悟っていました。解決金を受け取り、離婚届に押印して協議離婚が成立しました。



どのようなことでも同じだと思いますが、始める時より終わる時の方が大変です。今回の私の失敗要因は、彼女のことをよく知らずに妖精のような美貌に目がくらんだことだと思います。伴侶を共にする訳ですから若くて綺麗な女性を追い求められることは分かりますが、それより大事なことはお互いの目的を明確にして国際結婚生活をスタートされることでしょう。
国際結婚 中国人の嫁との日々。偽装結婚に染まった8年間のまとめ


その後、私は別の中国人女性と婚活で出会いました。半年ほど交際期間を経て入籍、再婚しました。
なぜまた中国人女性と国際結婚するのか?理由は明確です。
一度すべてを失い、まだまだ貧乏で苦しい生活をしている私には、日本人同士の結婚相談所では相手が見つかりません。
「まだ若くて女としての色香があり、望みうる限りで容姿が良い女性」と出会えたからです。
また新しい結婚相手には、日本語が上手で日本で頑張って私を支える覚悟を感じられました。
- 美貌に惑わされない – 外見だけで判断しない
- 金銭感覚の確認 – お金に関する価値観を重視
- 支え合う意志 – 困難な時に共に頑張る覚悟
- 十分な交際期間 – 相手をよく知ってから結婚
前妻は中国人女性との国際結婚の最悪のパターンの一つと思います。かつてはこのように財産を食い潰されたケースも多かったようです。
今度の妻との国際結婚生活が良いものにできるよう、前妻との失敗を活かしていきたいと思っています。
国際結婚を検討している日本人男性の皆さん。お互いの目的を明確にして結婚生活をスタートすることが最も重要です。



私の失敗体験が皆さんの反面教師となれば幸いです。外見の美しさだけに惑わされず、相手の人格や価値観をしっかりと見極めてください。真の国際結婚には、文化の違いを乗り越える強い絆と、お互いを支え合う覚悟が必要なのです。